宇咲冬男のご紹介

 ・プロフィール
 ・冬男 海外での活動
 ・宇咲冬男 著作リスト
 ・主宰句鑑賞
  「あした」誌より転載
 ・冬男の歳時記
 ・「俳句四季」平成13年10月号
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宇咲冬男(うさきふゆお)のプロフィール

・1931(昭和6年)12月埼玉県熊谷市上中条天台宗別格本山常光院に生まれる。

・1953年(昭和28年)大正大学文学部哲学科卒業、作家を志して修行のため同年産経新聞社に入社。
地方部、社会部記者を経て10年で独立。

・1981年(昭和55年)に企画会社「明広」を閉じ、文筆活動に入る。
産経新聞記者時代、無実の犯人を救出するなど、浦和支局長賞、編集局長賞、販売局長賞、など多数の賞を受賞。

俳歴

・1949年(昭和24年)〜1995年(平成7年)まで、「芭蕉語彙」の研究で博士号を持った俳諧「草茎」社主宰の宇田零雨に師事、「俳句」と「現代連句」を学ぶ。

・1968年(昭和43年)10月に現在の主宰誌「あした」の前身である「梨の芯の会」主宰となり原裕、上田五千石らと「俳句昭和世代の会」を結成するなど俳句活動を始める。
句集 合同句集『若菜』を刊行以来、『心の章』『梨の芯』『昭和世代作家・宇咲冬男集』『乾坤』『晨韻』『自註現代俳旬シリーズ宇咲冬男集』『荒星』『虹の座』・の8句集を持つ。
句集『乾坤』は、印度仏聖地巡礼の句を中心に編んだもので、作家・瀬戸内寂聴尼により角川の『俳句』で

  「俳句でこんなにも印度が表現されたのには嫉妬を覚える」

とまで、激賞され、海外旅吟と取組むようになる。
一方、さびれていた座の文学一一言葉のやりとりの楽しさである「連句」の復興に立ち上がり、NHK教育テレビに2度出演。

・1997年(平成9年)に中国の日本和歌俳句研究会会長(2000年逝去)だった李芒先生訳による宇咲冬男と「明天」(あした)志友作品精選一中国游吟俳句集(連句も3巻収録)が宇咲冬男と李芒共著で北京の訳林出版社から日本語と中国語の対訳で刊行され、中国の日本文学研究者や漢俳(中国語で作る俳句)作家たちから注目された。

・1998年(平成10年)にドイツのフランクフルト郊外の薔薇の町一一バート・ナウハイム・シュタインフルトの薔薇博物館そばに同市により日独親善のシンボルとして<薔薇は実に人活き活きと薔薇の町>の句碑が建立された。

主な著書には暉崚(てるおか)康隆共著「連句の楽しみ」同「連句のすすめ」、「現代の連句一実作ノート」その他多数。

現在俳誌「あした」主宰、日本文芸家協会々員、連句協会顧問、現代俳句協会理事、日本詩歌文学館評議員、日本ペンクラブ会員、日中文化交流協会会員、国際俳句交流協会評議員。
俳句、連句の国際交流の足跡一中国、韓国、ドイツ・イタリア・フランス・シカゴなど歴訪し交流。