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第九句集 『塵刧』
 文学博士号取得記念出版
  2006年(平成18年) 文學の森 刊。

 『虹の座』以降の作品三千五百余句の中から、
 ─叙情から心象・象徴へ─と絞り三百九十八句
 を収録。
 




『あした季寄せ-連句必携-』
 “あした”創立三十五周年記念
  2003年(平成15年) あしたの会 刊。
 〈完売! ただいま再版準備中です。〉

 『あした季寄せ-連句必携-』の刊行が企画されたのは六年前であった。あしたの会創立記念事業に、あしたの会の全連衆の代表句を“季寄せのアンソロジー”として刊行しようという計画だった。しかし、「あした」のもう一つの結社の目標は「現代連句の実践・普及」である。季寄せを編むなら、連句の席で“この一冊”を持参すれば、誰でも座に入って、季語探しや、その季語が三春なのか、初夏なのか、仲秋なのか、晩冬なのかが、簡単に解るよう、四季の季語を徹底的に洗い直して、二十四節季を基準にした季語の配列をし、天文・時候などの分類も明確化することになった。
─本書あとがきより─




第八句集 『虹の座』
  1984年(昭和56年)〜1988年(昭和63年)
  〜1995年(平成7年)〜2000年(平成2年)
  2001年 毎日新聞社刊。

 昭和から平成十二年末までの14年間の作品の中から485句が収められています。代表作は2001年(平成13年2月)付の産経新聞〈産経抄〉にとりあげられました。
 この句集から若い作曲家 <陶山-すやま-高志氏> により18句が選ばれ、組曲『虹の座』が四部構成で作曲され、平成14年6月、ソプラノ歌手 千田知都子さんにより初演されました。




第一句集 句集『心の章』復刻版
1992年(平成4年)東京四季出版社刊。

 東京四季出版が“復刻版処女句集シリーズ12人集”として、桂信子・松澤昭らと共に宇咲冬男句集も入集。
 
 
 




『現代の連句―実作ノート』 宇咲冬男 著
1997年(平成9年)飯塚書店刊。

 この本は、連句の一番短い形式の“前句付け”───2人でつくる連句の実作例をはじめ、“恋の座”“月の座”“花の座”など連句の付け運びの基本練習が誌上で出来るように書かれました。そして、連句の付け運びの実作1157句・24篇と、連句作品7歌仙と半歌仙2巻が解説つきで詳しく収められています。 好評発売中。

宇咲冬男の海外の本



『中國游吟俳句集』 宇咲冬男編著・李芒訳
1997年(平成9年)中國・南京の訳林出版社刊。

 この本は中國の日本文学研究の大御所であった中國社会科学院の李芒先生が宇咲冬男の中國吟と「あした」会員の中國作品を中國語と日本語に対訳して出版して下さったものです。 日本と中國の俳句・連句の深い結びつきが生まれた本です。
 
 



第七句集 『荒星』(あらぼし)
1995年(平成7年)角川書店刊。

 角川書店の“今日の俳句叢書”の一巻として出版されました。これには1989年(平成元年)から1994年の間の403句が収められています。この集の中に入ったドイツでの作品
  薔薇は実に人活き活きと薔薇の町
が、秋の季語「薔薇の実」として、講談社刊の『新日本大歳時記』に入集しました。
 
 

宇咲冬男の連句の入門書 1



『連句の楽しみ』
 暉峻康隆(てるおかやすたか)・宇咲冬男共著
1984年(昭和59年)桐原書店刊。

 この本は早稲田大学名誉教授で“桐雨”の雅号を持つ暉峻康隆先生とハガキのやりとりで巻いていた連句が、とても面白い───若い人達への連句の普及書にしたい───という編集者の要望で出版されました。
 全国の主要図書館にあり、絶版本。
 
 

宇咲冬男の連句の入門書 2



『連句のすすめ』 暉峻康隆・宇咲冬男 共著
1991年(平成3年)桐原書店刊。

 この本は、前に出た『連句の楽しみ』の姉妹編として出版されました。今回は宇咲冬男が亭主となり、西行ゆかりの大磯の鴫立庵(しぎたつあん)で巻かれた新年の連句興行がNHK3チャンネルで3日間にわたり放映されたものも収められました。今は絶版。
 
 



第六句集
 『自註現代俳句シリーズ・宇咲冬男集』
1987年(昭和62年)社団法人俳人協会刊。

 1940年(昭和15年)11歳の処女句作品から1985年(昭和60年)までの間に作った43年間の俳句作品の中から300句を自選し、句の成立の背景を自註したものです。
 
 



第五句集 『晨韻』(しんいん)
1982年(昭和57年)牧羊社刊。

 現代を担う実力派俳人の23人集の中に入った句集。
 帯文には「俳句を象徴詩として希求してやまない著者が、知命を卜した第五句集。  天性のロマンの詩情豊かに、40代後半の自照の詩魂が平常吟の中に沈潜し、作品により一層の深みを与えている───とあります。382句収録。
 
 



第三句集『乾坤』(けんこん)
1980年(昭和55年)牧羊社刊。

 日本の都会には本当の夏がなくなった───と身を捨ててインドの仏聖地を巡礼しながら作りました。 印度旅吟を中心に709句を世に問いました。そして、瀬戸内寂聴尼から激賞されまして俳壇に認められるようになりました。
 表紙は、やはり大山忠作画伯のインドの像で飾られました。この句集で、冬男は小説への志向をあきらめ俳句・連句の道を選んだのです。
 
 



歌曲集『うつろい』
1984年(昭和59年)

 作曲家 井上清湖が、宇咲冬男の句に曲を付けました。音楽と俳句の出会いです。
 楽譜として出版された『うつろい』は、句集『乾坤』(けんこん)から四季の4句に曲を付け、更に韓国の旅吟4句が『まほろば』と題されて加えられ、二部構成されました。 曲はフルート助奏付バイオリン、ピアノで演奏されるようになっていて、合唱曲として広く歌われています。
 



第四句集『昭和世代作家集 宇咲冬男集』
1973年(昭和48年)昭和世代俳人の会刊。

 「万緑」の同世代・山本富万の呼びかけで上田五千石・原裕らとともに、これからの俳壇は昭和世代が担う───と意気込んで「昭和世代の会」が作られました。その一集。
 
 
 
 



第二句集『梨の芯』
1967年(昭和42年)現幻社刊。

 産経新聞社会部記者から文筆専門になるため独立。折から出版社をやっていた柿沼淳に推められて句集を出すことになりました。
 句集の名は、記者時代苦労をかけた妻への思いを込めた句からつけました。この本の読者を中心に、宇咲冬男の俳句グループ“梨の芯の会”が生まれ、現在の“あしたの会”へと繋がることになります。
 
 



第一句集 句集『心の章』
1958年(昭和33年)草茎社刊。

 処女句集は師・宇田零雨の「草茎新書」No8として出されました。
 表紙絵は、現在、日本芸術院会員の日本画家、大山忠作画伯と佐渡へ旅したときのものです。
産経新聞記者時代の出版で“記者の句集”ということで当時の新聞協会報の書評欄に採り上げられました。
 
 



合同句集 『若菜』
1955年(昭和30年)生家の常光院刊。
若菜会編。

 合同句集『若菜』は宇咲冬男の生家が発行所となり、当時、冬男は“小久保隅烽”と称していました。現在「あした」の編集長の角田双柿と共に二人三脚の「俳句」と「連句」の大きい絆が結ばれました。
いわば『あした』の源流です。