■ 宇咲冬男の歳時記 《秋》

  平成十九年の立秋は昨年と同じ八月八日だった。昨年よりも梅雨が明けるのが遅く、八月二日に梅雨が明けたばかり。いきなり猛暑がやってきて、熱帯夜の続く中の立秋だった。蝉が追われるように、しげく鳴き出した。今年は蝉の当たり年なのだという。
 立秋後もきびしい残暑。夜も三十三・四度もある暑さ。でも、夜の空は日増しに澄んできた。


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エリトリアの山岳首都アスマラの街の景観と秋の空    
エリトリアの山岳首都アスマラの街の景観と秋の空 エリトリアの民族独立の誇りの山岳鉄道
    エリトリアの民族独立の誇りの山岳鉄道 


 秋立つや島の潮騒なお耳に
   冬男

  客船トパーズ号で地球一周の旅を無事終えたのが六月五日だった。百一日間の船上生活。その間、一番長い間の季節があったのは夏。太平洋の台湾の基隆(キールン)から、サハラ砂漠のケニアまで。そして、カナリア諸島のラスパルマス(スペイン)。ブリッジタウン(バルパドス)。南米のアカプルコ(メキシコ)が夏だった。ついで春もいっぱいあった。ケニアから、エリトリアへ行くと春に逆戻り。山岳の国なので高地の首都アスマラは秋の気配。コオロギが鳴いていた。でも、スエズ運河やエジプト、ギリシア、ベネチア、など地中海やアドリア海は春だった。四月十五日ごろ迄のこと。実に不思議な体験をしたのは四月十九日に寄港したカナリア諸島のラスパルマス。観光バスで島をひとめぐりしたが、山岳の島の裾に広がる砂丘は夏だった。ハイビスカスが砂丘に映えていた。岳を登るたびに、春の景色になり、中腹は“秋”だった。岳の頂上の方は、住民が岩の洞の中に住んでいた。夜は“冬”になるという。たしかに頂上近くでは、重ね着をしないと寒かった。島めぐりの注意に“衣着”を用意とあった。ラスパルマスは“一日で四季が体験出来る島”とガイドが言った。

カナリア諸島、グランカナリア島の山頂付近
カナリア諸島、グランカナリア島の山頂付近   

 秋風に吹かれ野飼いのチャボの群れ
   冬男
 春の島ひと日で四季をまる抱え
   冬男

などの句が出来た。
 地球一周で一番季感がうすかったのは「秋」だった。秋があったのは、エリトリア、ラスパルマス、そして南米のカナダぐらい。
 でも、この歳時記の<夏>でトパーズ号の赤道祭のことを書いたが、炎熱の中の赤道の夜の船のデッキから眺めた星座群は、一生忘れられない“秋の星の祭典”にちがいはなかった。南十字星と北斗北星の照応。全天に太い銀河の帯がまるで銀河の橋のように、まぁーるく輝いて身に迫ってきた。銀河は、あまりにもまばゆかった。いくつもの句が出来た。

 銀河仰ぐ翁・犀星・賢治負い
   冬男

  赤道上でも銀河は立派な秋の季語。季語を超えた“季語”といっていい。
  今年は「秋」と二回めぐり合うことになる。八月の秋は、まだ地球一周のエッセイ(SANKEI EXPRESS)=産経新聞発行=の『海のひろ道』の執筆が続き、十一月に最終回となる。

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  六月に俳句の総合誌『俳句朝日』が終刊となった。この十月には俳句総合誌の、草分けだった『俳句研究』も休刊となる。大きな書店では、ちかごろ“俳句コーナー”が出来て俳句入門書や、俳句のエッセイなどの本が目立つようになったというのに。
  俳句人口を満たしていた昭和一ケタの男女に力がなくなり、若い世代の人達は、なかなか俳句にとりつけない。インターネット句会にはアクセスしても、「結社」にも入りたがらない。戦後の国語教育で、日本の伝統詩系の短歌や俳句はあまり教えなくなった。作文や音読の時間も少ないらしい。日本語の美しい韻文の世界が遠のいていく。ケイタイのメール、パソコンのEメールなどの言葉づかいは惨憺たるもの。
  ただ、若い人達の自然回帰、都会に住んでいた団塊世代が、過疎化した農村の農家を買って移住し、農業をはじめたり、若者が稲刈りなどのボランティアで遠く東北まで足をのばすようになった。あちこちの小川で蛍をよみがえらせている。

 過疎の村よみがえりつつ秋蛍
   冬男

  九月には稲の収穫が始まるようになった。そう言えば、日本の“こしひかり”などのブランド米が中国に輸出され、店頭に並んだ。日本のスーパーの食品の多くは、表示をみると中国産ばかりが目立っていた。それが、日本のお米が高い値段で中国で売れた。
  日本は「瑞穂国」=みずほのくに=に戻れるか─。



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  十月。八千草が染まり、草花が咲き、高原は大花野で彩られる。
  祭囃しの音も、あちらこちらで。秋祭りは夏祭りとちがって、少しもの静か。秋の収穫のお礼を神にささげるためだったからだ。ところで、伊勢神宮の本当の御神体は何だかご存知か? 実は稲の神なのだ。だから、天皇の伊勢神宮への参拝は、天皇きり入れない。奥殿へ昇る。毎年、皇居で“お田植え”が行われ、秋の収穫も天皇がカマを持って稲を刈り取る。農耕民族の宗教なのだ。伊勢神宮の皇大神宮の祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)だけとみな思い込んでいる。加えて御霊代(みたましろ)は、八咫鏡 (やたのかがみ)、そして、豊受大神宮の祭神こそ豊受大神。稲の豊穣をもたらす神さまなのだ。トパーズ号で地球一周の旅のさい、宗教講座を持った。エジプトも、ナイルの出水によって沃野となるため、農耕民族となった。その農神をまつったのがギザのピラミッドだと逆に教えられた。そして、日本も太陽神の天照大神についで稲の稔りの神を祭った。「村の鎮守の村祭り」という唱歌がある。鎮守様は村の氏神様であり、一方、農神へ稲の収穫を感謝する祭りなのだ。

 ピラミッドへ思い重なる秋祭
   冬男