■ 冬男の歳時記 《春》
平成16年
今年は2月四日が立春だった。その前日の節分の三日の産経新聞の一面コラム『産経抄』に、かつて社会部記者時代に机をならべて仕事をしたことのある論説委員のコラムニスト、石井英夫氏が、俳誌『あした』の二月号へ発表した「寒あけてことばの刺の抜けにけり」の句を引用しコラムを執筆してくれた。 そういえば平成十三年の二月三日の『産経抄』は、次のように綴られたのであった。
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《かつて産経新聞社会部記者だった俳人・宇咲冬男は、句誌『あした』を主宰している。届けられたばかりのその二月号に、「二ン月の庭木つぶやきもらしけり」。木々は何をつぶやいているのか
予報に反する寒冬である。「ひどい冷え込みだな、このあいだの雪もまだ消えない」「今日は節分、明日は立春というのにね」。そんなことを語らっているかもしれない。いや、それは愚痴やため息でない、春への準備と息吹である
セツブンソウの花は律儀に節分のころ咲くという。といってもこれは旧暦だろう。五弁白色の可憐な花だが、花びらに見えるのは実はがく片で、ほんとうの花は雄しべに隠れている。落葉樹林の下を好んで咲くが、昨年の二月半ば、東京・練馬の牧野記念庭園では、“畑”で咲いていた
植物画家・柿原申人さんの本誌連載「草木スケッチ帳」によると、早春、雪解けとともに芽を出し、わずか二ヶ月ほどで地上から姿を消す一群の草花がある。そんな草花をヨーロッパでは「スプリング・エフェメラ」と呼んでいる
エフェメラはギリシャ語でかげろう、すなわち「春のはかない命」という意味である。セツブン草は典型的なスプリング・エフェメラであるそうだ。発芽一年目には小さな楕円形の葉を一枚出し、やがて地下茎になり、小指の先ほどになってやっと開花する。それまで四年もかかる
そんなに成長がおそいが、存在は確かで、「春のはかない命」はたくましさも持ち合わせている。そのセツブンソウの脅威は、生息地である落葉樹林の消滅だという。落葉樹たちのつぶやきにも耳を傾けてみたい。「木の芽張る一枝一枝が意志を持ち」冬男》
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このコラムの文には多くの反響があった。〈二ン月の庭木つぶやきもらしけり〉の句は当時、新築したばかりの二階の書斎の窓際の目先に見える、槐の大木が素材だった。
戦前からの古い木造の家の水回りが老朽化して、大改修をしなければならなくなった。老後のことを考え息子たちと相談して、バリアフリーのプレハブ住宅を建てることにした。
しかし、木造の家には妻のライフワークである日本舞踊のお稽古場と舞台がある。プレハブの家では特注になり、そんな予算はとても取りようもなく、空いていた庭に家を建て、旧居はそのまま、お稽古場として残すことになった。ところが、難題が一つ起こった。家を建てる予定の庭の真ん中に、幹が一メートルもある槐の木があった。野鳥が運んできて根づき、二人の息子たちが木登りをして遊んだ木。しかも槐は縁起のよい樹である。他の庭木はともかく、槐は切れない。造園業者と相談した。新築の家で無くなる土地の余りの坪庭に、ギリギリで移植はできる。しかし、クレーンを使わなければならないし費用は三十万円を超えるという見積もりだった。夫婦にとって三十万円の余分な現金支出は大変なことだった。しかし、槐はどうしても吾が家のシンボルとして残すことにし、お金を工面して坪庭への移植に成功した。
書斎が西側に面しているので、夏は槐の茂が西日をさえぎってくれる。野鳥もやってくる。ことしの二月は、隣家へも、そして書斎の二階の屋根へも覆うようになった槐の大剪定をした。「剪定」は、歳時記では仲春の季語ではあるが─。
妻は、新築の家に二ヶ月寝起きしただけで脳梗塞で倒れ、今は特別養護ホームでリハビリ入園中の身。それにつけても、書斎の窓の目の前の槐の強い生命力に、独り住まいの吾が身を励まされる。木造の旧居の踊りの舞台もいつかは壊さなければならなくなるが、槐の木は息子たちの代になっても、さらに大木になり息子たちにも想い出を紡いでくれるだろう。
二月は、はなやかなお正月、そして、そのあとの“寒”のきびしい晩冬の寒さをくぐりぬけて、どこか、心が不安定になる月である。
そういえば、今年は閏年で二月は二十九日ある。月の終り頃は「猫の恋」が始まる。
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三月は仲春である。今年の「啓蟄」は五日である。想い出といえば、生家の寺庭のあちこちで、虫の出る小さな穴があく。まだ伸びたてのニラの茎を小さな穴にさしこむと、幼虫が釣れたのだった。こんなことも、子供たちの春の遊びであった。自然や虫などという命とかかわって成長したものであった。なぜニラの茎へ啓蟄の虫が喰いついて釣れるのかは、今もって調べそこねている。ただ、子供ながらに、穴から釣れた幼虫を殺すことはしなかった。また、もとの穴の中に戻してやった。“穴づりあそび”そのものが、何故か面白かったのだ。未知なる地下への小さな探検だったのだ。
昨年は、
啓蟄や死ぬために生きぬかんとす
冬 男
という句ができて、十五年度の代表作になった。移植した槐の木の根本あたりに、昨年から、野すみれや、野草が萌え始めた。槐の木や枇杷や杏の木を訪れる野鳥たちの糞で落とされたり、風に乗って絮が飛んできたのだろう。妻は、わずかな庭で申し訳程度のガーデニングを楽しんだが、今の私にはその余裕はない。いく鉢もあったアロエも全部枯らしてしまった。やたら殖えてしまった棕櫚の木や隣の家に迷惑をかけていた銀杏の木も切ってしまった。残った樹木は槐と杏と枇杷の古木と木犀、それに数株の紫陽花が夏になると花をつけるだろう。
雛は飾れなくなったが、今年のひな祭りには家内の一泊の外出許可が下りそうなので、まだ残っている踊りの舞台に五段雛を飾って、妻に一夜を過ごしてもらおうと思っている。
吾娘もたず一夜官女をうらやみぬ
冬 男
とつぶやいたが、長男夫婦に出来た孫は女の子。やっとことしで小学二年生。東京の住み慣れたマンションの建て替え工事で仮住まいになるので雛は飾れないだろう。でも小学二年生だから学校で雛祭をするかも知れない。
この正月、十五年間も子に恵まれなかった次男夫婦に男子が誕生した。息子ふたりに孫を授かったことになる。でも、二人の孫にどのくらい祖父として日本の伝統文化を伝えてやれる時間があるか判らない。
流し雛人にもありぬ浮き沈み
冬 男
の世の中だし、一病も二病もかかえている身だから─。さりとて草萌ゆる三月のように、老いのくりごとは決して言うまいと思う。与えられている命にムチ打って強く生きたい。稲の「種浸し」も仲春だし「物種」が蒔かれるのも三月のうち。自然も萌え出す。
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晩春の四月は、花の曼陀羅の季節。越冬のため日本にやって来た鶴や水鳥たちが、また北の国を目指して去ってゆく。そして燕がやってくる。
また、世界の三大宗教のうち仏教とキリスト教が深いかかわりあいを持っているのが四月。すなわち、仏陀─釈尊がルンビニーで生まれたのが四月八日。日本の寺院では「花祭り」や「灌仏会」を修し「花見堂」を野の花で飾る。五月八日に行うお寺も多い。大乗仏教では、お釈迦さまははじめから“仏陀”であった。しかし、人間に仏の道を説くために、仏陀は人として生まれかわって、苦行をし、悟りを開いたと説く。日本は、その大乗仏教の国。それに対してタイなどの仏教は小乗仏教で、誕生仏は否定する。四十代でインドのブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いてからが真の仏陀としてあがめる。大乗仏教も小乗仏教も大事な釈尊の教えは、右にも左にも片寄らない“中道を生きる”という根本精神は同じである。だから仏教は争わない。
キリスト教徒にとって四月は「受難節」「最後の晩餐」「イースター」など、たて続けの行事がある。釈迦とキリストの生涯は、まことに不思議で対照的だと思う。
それにしても、中東の戦争が今に絶えないのは“宗教”の異教徒の争いなのだ。人間を救うべき宗教によって血が流されるのはなんとしても大きな矛盾。仏教徒は争わないから仏教遺跡が破壊され、仏の顔が刹がれ、バーミアンの大仏などは爆破されてしまった。
でも、最近、日本では書店で仏教の解説本やCDがよく売れ、若い人達によって写経や参禅が盛んになってきたという。
日本の寺院も“お葬式仏教”から目覚め、今こころの荒んでいる日本人の心をたてなおすためお寺の解放、仏の教えの実践が始められたのだ。その先駆者として法隆寺の高田好胤や今東光、瀬戸内寂聴、ひろさちやをはじめ、高僧、名僧、宗教学者が仏の教えをやさしく説き出してくれたからだし、若い人達も心の飢えを強く感じ始めたのだ。
花の散るのは“無常迅速”。ぱっと明るい春爛漫の四月は、かえって人のいのち、生き方を考えさせられる月でもあると思う。