■ 冬男の歳時記 《夏》    平成16年


 真っ青に天のはじけて五月来ぬ
   冬  男

 今年の立夏は五月五日、「子供の日」だった。ゴールデン・ウィークの最中。おぼろがかった空や地上の春霞はすっかり消え、 あめつちは清澄な気が漲るようになる。初夏の季語に「清和」という天文の季語がある。陰暦四月朔日の異称だが、 陽暦の立夏ごろにふさわしい。活用季語に「清和の天」がある。
 テレビの気象予報士も最近は、ときどき“季語を使った”解説をするようになったが、一般に知れわたった季語でなく「清和」「麦の秋」などという美しい季語も勉強してほしいと思う。
 ゴールデン・ウィークが終わると、街ではようやく背広やOLスタイルが身につきはじめた新入社員が活き活きと闊歩する。「更衣=ころもがえ」の季語が眩しい。農村では麦刈り、野菜の苗植え、代掻き―と、いよいよ農繁期の到来である。農村も機械化されて、農事の季語で句を作るのが難しくなった。でも、村人の共同作業の「溝浚い」「蚕の上蔟」など繭にまつわる句などは是非詠み残してほしいと思う。上蔟を前にした蚕が夜通し桑を食む音が蚕屋に満ちたことは、今でも潮騒を聴くように耳底に残っている。
 そういえば、新しい教科書に、一度は消されてしまった、明治、大正の童謡や小学校唱歌が復活されはじめた。五月では『夏は来ぬ』が。戦後の教育で育った人達が親になってから伝承がくずれてしまった、童謡の歌詞、曲のうつくしさを見直すようになったのだ。由紀さおり姉妹の活躍も大いに団塊の世代の心をゆさぶったのだろう。童謡には『夏は来ぬ』の歌詞「卯の花の匂う垣根に―ほととぎす早も来て…」と季語がつまっている。軽薄な―といっては時代錯誤かも知れないが―、片仮名、横文字の歌を安易にとりあげるより、日本の童謡や唱歌は美しい日本語と季感とメロディーが現代っ子の心を洗うはずだ。
 俳人協会、現代俳句協会、伝統俳句協会の三団体の大きな仕事は、もっと国語の教科書の美しい日本語の伝承のため文部科学省に、俳句そのものだけでなく、美しい日本語を残す教科書の見直し運動、更には、連句協会などは中学か高校の教科書に、「連歌」「俳諧」の項目を入れる運動をすべきだ。
 一部では始まったが、俳句三団体が“みどりの復活”に、全国一斉に“植樹祭”に合わせ“植樹運動”の実践をしてほしい。
 ところで、気がつかなかったが、五月には多くの文人・歌人・俳人が亡くなっている。
 生命感の溢るる五月―である。六日は万太郎忌。私も師・零雨の句縁で二、三度、師と共にお会いしたが、連句の復興のよき理解者だった。作家であり、戯曲も書いた。同じく六日は佐藤春夫の忌である。永井荷風に師事し「殉情詩集」など古典的な格調の抒情詩を書いた。耽美的小説『田園の憂鬱』『晶子曼陀羅』など心に残る。十日は二葉亭四迷忌。坪内逍遥に兄事。『浮雲』で言文一致の文章を確立して心理描写の優れた小説として新生面を開いた。またロシア文学の翻訳にも功績があり、『あひゞき』などが名訳。ロシアへ行った帰路、インド洋上で没した。十一日は詩人の萩原朔太郎の忌日。口語の自由詩を芸術的に完成させた。詩集『月に吠える』『青猫』『氷島』や詩論集『新しき欲情』など記憶になまなましい。十一日は俳人の松本たかしの忌日。牡丹忌ともいう。能にくわしく、能に関した句にすぐれていた。十三日は田山花袋の忌日。小説『蒲団』を発表し自然主義文学に一時期を画し、赤裸々な現実描写を主張した。『田舎教師』は、私の郷土<熊谷・羽生>と深くかかわっていて忘れがたい。十六日は北村透谷の忌日。島崎藤村らと『文学界』を創刊。近代ロマン主義の先駆者。劇詩『禁囚之詩』や評論『厭世詩歌と女性』など残して自殺。二十三日は国文学者藤井紫影の忌日。京大教授で芭蕉や俳諧を講じたが、俳諧は実作しないと研究出来ない―と「ホトトギス」と一線を画した俳壇を成す。門下に私の師・零雨がいる。二十八日は堀辰雄の忌日。芥川龍之介、犀星に師事。日本的風土に近代フランスの知性を定着させ独自の作風を造型した。『菜穂子』など代表作。二十九日は歌人・与謝野晶子の忌日。寛の妻となり、雑誌『明星』で活躍。格調清新。内容は大胆奔放。歌集『みだれ髪』『春泥集』のほか、『新訳源氏物語』など残した。親交のあった佐藤春夫の月命日と同じとは知らなかった。二十九日は橋本多佳子の忌日。 俳人、久女とならんで情熱の女流俳句を残した。月を越すが六月三日は佐藤紅緑の忌日。佐藤ハチローの父。陸羯南(くがかつなん)の門に入り新聞記者となる。日本派の俳句や脚本、小説を発表。通俗小説、少年小説の分野で活躍。『虎公』『あゝ玉杯に花うけて』など。
 先ほども触れたが、これらの作家たちの作品は国語の教科書から消えた。与謝野寛、晶子は取り上げられていると思うが、尾崎紅葉、幸田露伴、夏目漱石なども国語教科書から除かれたとか。特に明治の文豪の文章は日本語の基礎を憶えるに消してはならないはず。今の“文部官僚”や国語審議会のメンバーは、アメリカの日本占領政策のタガにはまったままなのだろうか。日本の国家を考え直さねばならなくなった今、国語教育の見直しは、急務である。俳人も、のほほんと“吾が城”に安んじていていい訳がないのだ。
 気がつくと十五日は京都の上鴨、下鴨神社の葵祭。歳時記の『祭』といえば江戸以前は葵祭を指した。江戸になって、同じ五月十五日に催される神田祭りが祭りの代表になった。京の祭りが江戸っ子にとられてしまった。
 日本人は祭り好き。現代では浅草カーニバルやさまざまな祭りが登場してきた。しかし、俳人は祭りの多様化に目をそむけてはいけないが、伝統的な祭りの本意を忘れないで欲しい。

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 六月は陰暦の六月五日ごろに当たる「芒種」が二十四節気の一。芒 =のぎ= のある穀物を播く時期の意味。田植えのさ中。そして、日本特有の「梅雨」の季節。梅雨が日本列島の植物やものの命をつかさどると云っていい。だから梅雨の季語はいっぱいある。歳時記の『夏』では「梅雨」に関した、あらゆる季語をひとまとめにした一項目を立ててもよいと考える。「山開き」「川開き」なども催され、いよいよ夏へのステップの月。
 私の生家の天台宗別格本山・常光院は大正になって村民の心がすさみ、寺はないがしろにされた。その荒れ果てようとした寺の再建のため、長野の善光寺の天台宗の貫主になるはずだった私の父の小久保豊田は、比叡山―本山―の要請で常光院住職となった。
 そして、ひたすら仏の教えを村民に説いてまわった。しかし、村民を教化するには父では限界があった。妻を娶って、村の農婦や子供の教育の場に、寺を開放するしかない―と考えた。そして、川越の喜多院の檀徒総代をしていた石田家(大同毛織の創立のもととなった染色、織物業をしていた)の二女のてい(当時、早稲田大学の総長で政治家の、高田早苗の私設秘書として高田邸に住み込んでいた)と結婚した。母は教育者になろうとしていた。父の懇情で、農村へ嫁いできた。母が手がけたのが、六月の田植えの真っ最中、放っておかれる農家の嬰児や児童を寺であずかって、授乳や昼寝、おやつなどをほどこしながら、童話をきかせることからはじめた。父は、早朝からリヤカーを引いて、村中の幼子を迎えたり、夕刻送り届けた。全国で初の「農繁託児所」の開設であった。心の荒れていた農民は、いつか寺への帰依の心を取り戻した。この「農繁託児所」の開設は、新聞に大きく報じられたり、六月の農繁期の寺の新しい教化活動としてニュース映画にもなった。
 そして、今でも本堂の正面の額に入れられて飾ってある、昭和天皇の皇后からの“御下賜金”をいただいた。この託児所は終戦の年まで続いた。母は、仏教童話や民話をきかせたほか、ローマ字まで教えた。今でも田植え時になると大本堂の畳を埋めつくした幼児のむんむんする匂い、授乳の匂いなどが生々しくよみがえってくる。母は正式な“幼稚園法”が出来るまで、寺を開放して幼児をみたり、文字や読書を教えた(無料奉仕) “託児所”の名残りを続けていたのだ。

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 七月も梅雨が続く。そして梅雨明けから炎暑がやってくる。七月といえば「風」にちなんだ季語の多さが目立つ。漁師ことばから生まれた風の季語もある。「白南風 = 白栄」は「しらはえ」といった。九州地方で梅雨明けの頃吹く南風のこと。そして八月頃の昼間吹く南風も白南風という。「土用あい」は、土用に吹く涼しい北風のことで「あいの風」とも言う。アユノカゼが転じたと言われている。「御祭風 = ございかぜ」は土用半ばに一週間ほど吹きつづける北東風のこと。「ござい」とも言う。「青東風 = あおごち」は土用東風とも言う。春の「東風」に対して言う夏の風。土用にも東風が吹くから土用東風とも。「熱風」は「炎風」「熱風裡」の季語もあるように盛夏に吹く天地の灼けるはざまに起こる風。これに対し、海では「朝凪」「夕凪」「土用凪」と盛夏に風のやんだ状態も季語になる。夏の風のきわめつけの季語は「風死す」だと思う。熱風の吹いたあと、はたと風が止む。地上がいっとき“しん”となる。私は、インドのナーランダの広大な仏教大学跡に行ったとき、「風死す」を体験した。地球が呼吸を止めたような時間だと思えた。作句していなかったら風死す―という真夏のすごい天文の季語は知り得なかっただろう。これらの季語は、日本の湿度の高い七月の盛夏に、いかに“風”を望んだかの証し。三夏の“風”を加えるなら「夏の風」「南風 = みなみ」「まじ」は太平洋の南または南西の風の呼び名。「くだり」日本海沿岸の南系統の風を言う。「ひかた」は日のある方、未申(ひつじさる)の南西方から吹く風のこと。「だし」は、海岸から沖に向かって吹き出す風。「夏嵐」「青嵐」「涼風」など三夏に渡る“夏の風”の名も多い。
 立秋近くなると、そこはかとなく夏の終わりの感がしてくる。まして夜の風やものの気配に。「夜の秋」は晩夏の詩的な季語。「夏果て」「水無月尽」= <あす秋><あす来る秋>という傍題もある。
 七月はまさに“太陽の季節”だ。

 目をつむり仏に添うや夜の秋
   冬  男