■ 冬男の歳時記 《夏》
平成15年
今年の立夏は六日だった。ついさきごろまで万朶の桜が、若葉どころか、もうぼってりとした葉桜になって桜並木の下は、木下闇にまでなっている。
街路樹として目立つようになった、花水木も散ってしまい、夏の季語になっている牡丹も、名どころの牡丹は立夏には、盛りが過ぎてしまった。でも、新樹が太陽にまばゆく照るのは“夏は来ぬ”の実感。
五月のころを「清和」と言う季語がある。中国から渡ってきた詞だが、本当にその通り清々しい。
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しかし、そうとばかりは言っていられない。メディアは北京を中心とした“サーズ・SARS・重症急性呼吸器症候群”の異常な蔓延と死者の増加を報じている。この文章を書いている時点では日本にはまだ伝染していない。香港カゼなどは冬にはやるものと思っていた。エイズについで、今度は原因不明の季節を問わない“重症肺炎”の新しいウィルスの発生。
人間が新しい“人”の解析を進めクローン人間づくりを始めたことに対する“人間の科学のおごり”への警鐘のような気がする。
日本には幸い四季があって大自然の“輪廻”を年四回体験できる。
麦が秋を告げる麦秋。それがやってくる前の麦畠に入って、病気になった“黒穂”を抜いたり、子供たちは麦笛を吹く。若葉を唇に当てて上手に草笛を作って鳴らす。
こういう、自然の季節のめぐり合いの中から子供たちの遊びが生まれるのはうれしいこと。今の若い親も、こういう遊びを子供たちに伝えてほしいものだ。呆けた、たんぽぽの茎をつなぎ合わせて、バケツから垂らして“噴水”を作ったり、盛夏になると竹筒で“水鉄砲”を作って、水のかけっこをした。
各地で催される「凧合戦」も、五月の風をはらんでこそ出来ること。「凧・凧揚げ」が正月から春の季語になったが「凧合戦」は独立して“初夏”の季語にしたい。
季語の“呼び方”の変化にも時代の移り変わりが反映される。たとえば「五月晴」。この季語の本来は、六月の梅雨のさ中に、ある日“晴れ間”が出て、太陽のきらめくことを言った。現在では、まさに陽暦の五月のさわやかな晴天を「五月晴」と言うようになった。テレビの気象予報から変わった。でも不自然ではない。梅雨のさ中の晴間は「梅雨晴れ間」の方がよくなじむ気がする。
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五、六、七の夏は日本の農業にとってなくてはならぬ季節。稲作にはじまって果樹、園芸、農業にちなんだ夏の季語はいっぱいある。
農村の都会化で「早苗響=さなぶり」などという季語が失われようとしている。田植えは、部落中の人たちが助け合って、共同でやった。その田植えが終ったお祝いを、古老や大きな農家の家に集まってやった。大きな農事は共同作業だった。そこで、村人たちの心の交流もはかられた。今は田植機で田植えが済まされる。小川もコンクリートで固められた水路になって、メダカが棲めなくなった。
メダカすくい、どじょう取り、仕掛けでうなぎを獲ることも少なくなった。
でも、農薬を使わなくなって蛍も少しづつ戻ってきた。川魚も増えてきたようだ。
歳時記で一番項目の多いのも「夏」。人事にしても、動物、植物にしても生命の“躍動”の夏に極まる。
子供たちが野外で自然に触れるのも夏。海、山、川、そこに棲む動、植物との自然の交歓が子供たちの心とからだの成長をはぐくむ。
都会の子供たちも“海の家”や“林間学校”へ出かける。共同生活と自然の大切さを学ぶ。
少年、少女時代の思い出は、四季の中で「夏」が一番深い。
今、自然環境の破壊が問題になっている。今年の夏には、日本の沖縄で、アジアの子供たちの代表が集まって、“自然環境会議”が開かれるそうだ。
子供たちの夏が、グローバルになり、新しい時代を受けとめて、人類の棲む地球を守る“戦士”になってくれるのはうれしいこと。
でも、少しさびしいいのは、夏の自然の中の素朴な“遊び”も復活させてほしいこと。
用具や機械にたよらず、自然の中で、自然の遊びを取り戻してほしい。
夏は裸になれる“太陽の季節”なのだ。
甲子園の高校野球で夏は燃え、やがて秋が立つ。秋の祭りの笛や太鼓の練習の音が田や野を渡るころ、めくるめくように燃えた太陽もこころなし輝きが落ちる。夕焼けの色、夕立もおとろえる。
陽暦の八月は夏そのものといっていいかもしれないが、8月の“立秋”になると、やはり自然は秋に向かって歩き始める──。