■ 冬男の歳時記 《秋》
平成15年
2003年の立秋は八日であった。いまなお異常気象。梅雨明けが八月にもつれこみ、東北地方では、炎暑の夏がなく秋に入り作物の冷害が心配されている。
だから、むしろ立秋後の炎暑のような残暑が欲しい。子供たちの夏休みのためにも─。
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八月の日本の自然は、“残暑の夏”と秋が背中合わせ。新暦ではむしろ“真夏”。でも、日本人の生活や行事も、自然も秋が入り交じっている。
少し筆法を替えて、まさに<秋の歳時記考>としよう。新暦の歳時記でも八月は「初秋」となっている。<秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にも驚かれぬる>─藤原敏行─の歌の通り、日本人の血の中には、感覚を研ぎ澄ますと、平均気温三十度─熱帯夜─の多い八月に、自然のうつろいの秋がある。「新涼」という季語は、八月の残暑の中に、ふと感じる“涼しさ”であり、夏の季語の“涼し”とはニュアンスが違う。<新涼やひと粒ずつの雨の音><秋涼し嶽に抱かるる湖ふたつ>いずれも冬男の句で残暑の中の秋の気配を詠んだもの。
「文月」は陰暦七月の別称で今は八月に当たる。“ふづき”とも読み、他に「七夕月」「女郎花月(おみなえしづき)」「涼月」「七夜月」などの呼び方がある。「文月」の季語の起源は、稲の穂のはらむころの月だから“穂含月(ほふくみづき)”がなまったものとの説がある。「文披桃月(ふみひろげづき)」は「七夕月」と共に、八月は陰暦七月七日の七夕まつりの月だからで文披月は七夕に供える書物を開くことから来ている。現代では有名な平塚の七夕祭りや、幼稚園などは陽暦になり、梅雨のさ中。天の川も見えなければ、牽牛星も織姫の年に一度の逢瀬も眺められない。八月に入って銀河が天空にかかる澄んだ空になってからでないと七夕の情趣は湧かない。七夕は五節句の一つで、今でも初秋の季語として、夏の季語に移されていない。七夕祭りの季語の本情はやはり秋である。芭蕉は<七夕や秋を定むる夜の初─はじめ>と詠んでいる。青森、弘前の“ねぶた”は七夕の行事。ねぶた祭りのことは「眼流し」の季語がメイン季語である。
「盆」は正式には盂蘭盆のことでインドから伝わり、四月八日の「花祭り」とならんで日本最古の仏教行事。推古天皇の世からだ。盂蘭盆にまつわる季語はいっぱいある。なかで忘れられそうなのが「刺鯖(さしさば)」の季語。生御魂─いきみたま─長寿で今の世に生きる父母、祖父母などを云う。この人達の長寿祝いに蓮の飯と刺鯖を供した。お盆の頃の鯖は最高の美味。<刺鯖や独りの卓に膳ふたつ 冬男>。分類の“地理”には「盆波」の季語がある。盂蘭盆の頃は台風シーズンに入り、浜に高波が押し寄せる。これを「盆波」と言ったのはお盆の精霊流しと結び付いたものと言われ、逆に魂迎えの気持ちが伝えられたとも。「踊り」の季語は「盆踊り」のことを言った。今でも連句で「踊り」と言えば仏教行事に入る。
下旬になると、もう秋の気配はにわかに高まる。鈴虫に松虫、鉦叩などの虫の音が聴かれる。「紅葉」といえば秋の代表季語中で「桜紅葉」は秋風とともに赤らみ、早ばやと散ってしまう。まさに花のように。二十三日頃「処暑」となり、冷気があらたまる。
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九月は仲秋。暑さ寒さも彼岸までとは、古人はよく言った。まさに秋が定まる。八日頃が「白露」。二十四節季の一つ。露凝って定まるといわれる。陰暦では「葉月」と言い、月見月、秋風月、木染月、燕去月(つばめさりづき)、萩月と味のある異称の呼び名がついている。農家にとっては「二百十日・厄日」が九月一日ごろに当たる。台風シーズン到来で穂をはらみはじめる稲作が心配される。現代は秋の収穫時期も早まったし、台風は八月にはやってくるようになった。
秋分の日のころ「竜淵に潜む」という虚の季語がある。『説文』という書に─竜は「春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む」とあり、その詞をとって、春と秋の時候の季語となった。これは、俳諧である。
詩歌の中で欠かせないのが「雪」「月」「花」─その仲秋の名月は陰暦八月十五日のことだから新暦では九月になる。この名月をはさんで「初月」から始まり「真夜中」の月─二十三夜月」まで、月の季語はいっぱいある。月を賞でることはインドにもあり、中国から日本へ渡ったものだが、日本では陰暦九月十三日の夜を「十三夜─後の月」として十五夜と合わせ賞でるようになった。後の月は十月になるが─。
食べものでは、洗った小粒の里芋を皮つきのまま茹でた「衣被─きぬかつぎ」や「新豆腐」は現代でも賞味され、「松茸」、箒草の実の「とんぶり」などが出まわる。残したい季語としては「焼米─やきごめ」がある。生米や乾飯(ほしいい)を炒ったもので、多くの地方では未熟の稲や種籾が焼米にされた。お菓子のなかった時代の生活の知恵。今の“ばくだんあられ”とまたひと味ちがう。飽食時代の今、子供たちに伝えて欲しい習慣だ。
富山の「風の盆」は最近とみに有名。九月一日から三日間、全町あげての祭り。哀愁あり。「後の雛」も風化しそう。三月三日の「雛の節供」に対し、かつては九月九日の重陽の日にも雛を飾った。「秋の雛」ともいい、三月の雛が、梔? 柳の絵付けのひつぎを飾るように、後の雛の日には菊の花を描いたものを飾る。播州の堺にこの習いが残り「堺の雛祭」とも言われる。「秋狂言」の季語は、秋の歌舞伎興行のこと。歌舞伎座、京都南座などで興行されるが、秋の季感に溢れた出し物としては「双蝶蝶曲輪日記─ふたつちょうちょうくるわにっき」といって仲秋の名月が出るくらいなもので“義経千本桜”なども演目があるから、この季語の作句は十分注意。観客席の灯が秋の気配をただよわせる。
「秋の薔薇」は九月に入るが、真っ赤な宝石のような実の方が、秋の季感がある。「薔薇の実」「茨の実」と合わせて、秋の薔薇から独立した季語にしたい。「芙蓉の実」も仲秋の独立季語。「蛇穴に入る」も秋の彼岸ごろと言われているが、実際は晩秋の季語。「小鳥」は九月の季語。季語の勉強が足りないと四季の句に小鳥を入れてしまう。秋以外には「小鳥」でなく“野鳥”と呼べばよい。「燕帰る」「初鴨」も仲秋。ああ─秋もなかば─という感慨がひとしお。
九月のメイン季語は、秋の彼岸と名月。秋の中で九月はなぜかおぼつかない。多くの季語が “三秋”の分類に入ってしまうからだ。
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十月はまさに秋は酣(たけなわ)。陰暦では「長月」といい、「菊月」「菊の秋」「紅葉月」「寝覚月」「稲刈月」「紅樹」の異称があるように、全山、そして原野は「紅葉」や「花野」となる。「寝覚月」とは名残り月や有明の月に秋を惜しむ心がこめられている。「稲刈月」─まさに農村は稲の収穫に大わらわとなる。今では稲刈機の出番で、刈り取ってそのまま、袋詰めにされる。それと共に「藁仕事」「稲こき」などの稲の収穫に関係した、あまたの季語が詠めなくなった。でも「藁ぼっち」「稲架─はざ」などは東北や九州、四国には残っている。おもしろいのは、地方によって「藁ぼっち」の形がさまざま。雀から稲穂を守った案山子も「捨て案山子」となる。こっけいにみえて、どこか哀れ。「案山子」は今では、農起こしの案山子コンクールにかわり、ショー化している。
時候の季語であまり詠まれなくなった「律の調べ─りちのしらべ」は捨て難い。律と呂(りょ)は音の調子のこと。中国では律を陽、呂を陰の調べとしたが、日本は律を陰、呂を陽とする。春を陽とすれば秋は陰の感じで、それゆえ「律の調べ」が秋の季語になり「律の風」も風雅の季語だ。秋の終わりの近まりには「秋寒」「漸寒─ややさむ」「うそ寒」「肌寒」「夜寒」と冬の「寒さ」の季語に対して「冬隣」におぼえるこれらの晩秋の季語には日本人のエスプリが感じられる。西行は<蟋蟀(きりぎりす)夜寒に秋のなるままによわるか声のとおざかり行く>と晩秋の心もとなさを詠んでいる。「火恋し」という季語も捨てがたい。川では「崩れ簗─くずれやな」が、ものの哀れを見せる。鮎漁のため初秋に仕掛けられた簗が、しまわれずに放置され、鮎のかわりに木の葉などがひっかかっている。
現代の季語として定着したものの一つに「赤い羽根」がある。十月一日から月末までの一か月間、社会福祉事業の一つとしての共同募金に応じた人達の胸を飾る。十月の季感十分だ。十月十日の「体育の日」はかならず晴れるという特異日だ。伝統的季語の一つに「正倉院曝涼」がある。十月下旬から十一月上旬の二週間ほど奈良正倉院の御物(ぎょぶつ)の曝涼(虫干しのこと)が行われる。一般公開は奈良国立博物館で行われる。「芸術祭」「美術展」が盛んに催される。花を賞でる春に対し、秋は “稔り”の季。絵画や彫刻など美術作品を飾ったり競ったりするのに、十月はふさわしい。「蔓梅擬─つるうめもどき」をはじめ、晩秋の木の実は赤さが目立つ。自然もまた、さびしさを呼ぶ秋を反対にして紅葉や木の実で極彩色をほどこしてくれる。
魚たちもそうだ。「紅葉鮒」「紅葉●─もみじたなご」(●は魚へんに與)など美しく色づく。反対に「木の葉山女」は、容姿が衰えて木の葉が流れるように勢いがなくなるからだと─。十月は、ものの派手やかさと、哀れが背中合わせに同居する。秋は「ホ句の秋」と言われるように秋思が深まり、まさに作句の最適なシーズンである。
「秋雪」という季語も秋果ての感じ。北海道の旭岳などは終わりの紅葉の中に降雪する。まことに浄らかな雪。「秋雪」の季語は晩秋の雪の季語としてもっと詠みたい。
やがて「秋時雨」が紅葉を散らせ、十一月八日ごろには「立冬」となる。