■ 冬男の歳時記 《秋》
平成14年
平成十四年の「立秋」は八月八日であった。ヒ−ト・アイランド現象で日本列島は、厳しい残暑。熊谷地方では三十九度近い異常気象。“熱帯夜”の真夏の季語がなお、生なましい。
でも、でも、私の生家の熊谷市の天台宗・別格本山・常光院の大本堂裏の桐の葉が、立秋の日にはらりと落ちた記憶は生なましい。その桐も一本も残ってはいないが・・・・。
秋は残暑の中でも必ずしのび寄ってくるものだ。日本人の四季に対する季節感の深さを知るのは、やはり「秋」であろう。暉峻桐雨先生の遺稿・・・四百字詰の原稿用紙千余枚の季語分類集である『暉峻康隆の「季語辞典」』三二六項目の中の、〈八月〉の巻頭の季語が「立秋」となっている。
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる〉
藤原敏行(としゆき)の作で、古今和歌集に入集されている“立秋”の絶唱である。
それが「俳諧・・・俳句」となると、とらえ方が少し違ってくる。〈そよりともせいで秋立つ事かいな 鬼貫〉(上島鬼貫=おにつら=1738没)と詠まれ、更に、蕪村は〈硝子(びいどろ)の魚(いお)おどろきぬ今朝の秋〉と、感覚から視覚で秋立つ事を詠んでいる。〈硝子の魚〉とは切子ガラスの中に飼われている金魚のこと。何に驚いたのか水槽の下に沈んでいた金魚が、急にすい−と動いた。それを見てとった蕪村は今日は“立秋”だと。
八月は秋と夏が混在し、東北では“ねぶた”など三大祭のイベントが熱気を帯びて繰り展げられる。子どもたちは、いや、少年・少女が逞しく自然に触れて自我が目覚めるのも夏休み。晩年になっての思い出の中で、一番多いのは、十代の夏休みの出来ごとである。恋が芽生えたり、ひと夏の恋が終わったり。お盆には、祖先の霊が還ってくる。あの世、この世が結ばれる月。
そればかりでない。星空が美しくなり、天の川が宇宙のロマンをかきたてる。私も、星の美しさと、星座のいわれを教わったのは小学校五年の夏休み。夜、校庭に集合して担任の先生から星の話を聞いた。今は東京も、地方の都市も不夜城の明るさ。星を仰ぐことが出来なくなりつつある。フジテレビの夕刻の“ス−パ−タイム”というニュ−ス番組の天気予報を担当している石原良純さんのキャッチフレ−ズは“いつでも夜空を仰ごう”ということ。いいことを思いついてくれたと嬉しく思っている。
“七夕”だって、新暦では梅雨のさ中。やはり、八月の旧暦の天の川でなければ、お星さまは見られない。
どの星と語らん秋の立ちにけり
冬 男
■ ■ ■
九月・・・。秋が身に添ってきて、夜ごとに虫の音がふえだす。外国では「虫の音」は騒音である。日本人にとっては不思議だが。俳句がHAIKUになって、外国人も自然を見直すようになった。
〈秋思〉・・・夜長が始まり、もの思うようになる。名月を祠る十五夜も九月。
今年の十五夜は九月二十一日。テレビでなく、本当のお月見をしよう。すすきもほぐれ““秋の七草”をはじめとした、草花(秋の季語)が咲き出す。高原の花野は美しい。尾瀬や白馬などなど。極楽浄土が思われる。
一方で台風のシ−ズン。二百十日・二百二十日を農家は“厄日”と言った。王朝びとたちは台風を野分=のわき・「野分け」と言った。広い草原を暴風雨が吹き抜けるからで、こう表現すると、牙のような台風も趣が違ってくる。勅撰集では
〈野分せし小野の草ぶしあれはてて
み山に深きさを鹿の声〉
と野分のあとの荒れざまをもののあわれとして〈さを鹿の声〉に重ねて取り込んでいる。少しさびしい、秋草の中にあって、ひときわ鮮烈な花が「曼珠沙華」。秋思の九月の中の赤のインパクト。
■ ■ ■
十月・・・。稔りの季節。おとろえたといえ、稔った稲田の風景は日本の原風景。・・豊葦原の瑞穂の国=とよあしはらのみずほのくに・・・とは日本の国の代名詞。自然の木の実も森や林にみのり、ほつほつ落ちる、そして輪廻転生の思いをみせてくれる。
そういえば、暉峻桐雨先生は九月の季語に、「うそ寒」「そぞ寒」「夜寒」があり、よく詠まれているが『身の秋』というデリカシ−のある季語は現俳人は詠んでいない。晩秋の季語として歳時記にとりあげて欲しい・・・・と訴えている。
そして、例句として〈身の秋や今宵をしのぶ翌(あす)もあり 蕪村〉〈身の秋や赤子もまゐる神路山(かみじやま) 其角〉を載せている。其角の句は伊勢参りをしたとき詠まれた。
〈身の秋ぞかこつ方なき言の葉に
露もかからずならぬと思へば〉(続千載集・絶恋)
という和歌を引きあいにだしている。はっとさせられた。「秋の身」とは「身に泌む」という季語より、もっともっと、秋のさびしさが思われる深みのある季語であることを知った。
春の囀りに対し、秋の鳥は声でなく色と、渡り鳥が詠まれる。雁は襖絵にもよく描かれた。そして「紅葉」。春は「花」。夏は「ほととぎす」。秋は「紅葉」。冬は「雪」。とは連歌の世界だ。その紅葉の千変万華の色は、日本に生まれてよかったとつくづく思う。「山粧う」などの季語も良い。
やがて「秋霖」が降り、草が萎えはじめる。〈野芝居の小屋解きしより末枯るゝ 九品太〉・・久保田九品太・・虚子門。