■ 「あした」の主張
「あした」の主張は、俳句は叙情詩であり象徴詩であるということです。インターネット時代になっても、どこかで宇咲冬男と車座になって句会を開きたいものです。
また、芭蕉が民衆詩として確立した、”ひとりの文学でない””やりとりの文学”である『連句』をもっと若い人達のコミュニケーションの場として広め、教えていきたい──と連句の座づくりにつとめています。
そして俳句も連句も ”えにし──出会いの文学”であると思います。俳句は一行詩として青春性があり、自然だけでなく恋も心も人間も詠めるのです。
今の多くの俳句は写生オンリーですが芭蕉はもっと自由自在でした。日本人の生んだ季語をキーワードにした十七音の一行詩をつくってみてください。
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